皆様お疲れ様です。
今日は、友人に言われたひとことについて考えたことを書きます。
友人から彼の知人とのやりとりについて愚痴のラインが来て
私はいつものように何気なく返したら、
「お前は人をかばわない」とかえってきました。
今そのラインを見返してみると
私の返信は冷たい感じの返信でした。
彼にそう指摘されて私は納得してしましました。
否定しませんでした。
無意識的のそういう言動を行います。
その時思い出したのは、
自分の父親のことです。
私が弱みをみせると責められました。
お前が悪いんだ、という具合に。
だから私は人に弱みを見せなくなっていった気がします。
私も無意識に、弱みを見せる人をたたいて、
嫌いな父親と同じことを周りの人にしていたのだと今頃気が付きました。
私は、父親に小さいころ責められているときに誰かにかばってほしかったのです。
たすけてほしかったのです。
でもだれも助けられませんでした。
我慢しろと言われました。
母親は言っても一言くらいで、焼け石に水。
私には耐えるしかありませんでした。
お前が我慢すれば丸く収まるんだ、という感じでした。
我慢するしかありませんでした。
父親を軽蔑し、嫌がっていたのに、
あんな風になりたくないとおもっていたのに、いま自分が同じことを他人にしています。
虐待された親が虐待するという具合に。
今回衝撃的なことに気が付きました。
今まで会った周りの人に、こういう対応をしてきたんだなと理解しました。
私がかばわない理由
愚痴をいう人は何かその人に非があるから、
他人から否定的な言葉や、対応が返ってくるんだと思っているんですね。
だから、それは君が原因なんじゃないの?と考えてしまうんですね。
君が悪いから、周りからの反応がこうなんじゃないのと思ってしまいます。
一方の言い分しか聞いてない状況では、どちらの言い分が正しいか判断できないです。
何となくですが、考えたのは
どちらが悪いかということよりも
私は弱音をはかれる行為に拒否感を覚えるのかもしれません。
私は弱音を吐かないから。
反省しました。
こんなこともうやめようと思いました。
弱音を吐いている人がいたら味方になってあげよう。
上の彼は私にもう愚痴吐かないかもしれませんが、
弱音はいたときは味方になってあげようと思いました。
急にかわれるかわかりませんが、やってみたいと思います。
彼のおかげです。彼には本当に助けられています。
ありがたいです。
とても感謝しています。
彼がいてくれてよかったです。
照れくさいので言いませんが。