弱音を吐く人、はかない人

皆様お疲れ様です。
今日は、日曜日です。

外に出る前、11時くらいにシャワーをあびていたら
私のアパートの階段を上がってくる足跡が聞こえてきました。
まさか、私の家じゃないだろうとと思いましたが、私の家の前でノックをされました。
今週は何もネット注文依頼をしていないのに、何だろう???

私のアパートは築何十年のぼろアパートです。
玄関の隣が、丁度浴室なので、配達員の方も私が浴室にいるとわかっているようで
その人が声をかけてきました。
「お荷物です」とかなんとか。

さすがに裸では出れないのですが、
というより濡れているから出れないのですが。

「お風呂で出てこれないですよね?」
「はい・・・」

と風呂場の窓越しに配達員さんと話をし、どうしようか、受け取りに印鑑がいるだろうと思って話してみたら、
「印鑑もサインもいらない」とのことでした。
「渡せないので、(空の)洗濯機の中に入れていいですか?」
と聞かれました。
「あ、それで大丈夫です。」
という具合で話がまとまりました。

なんとも滑稽な話です。
浴室を出て
私の家の外の洗濯機の中に荷物が入っていました。

私の弟からタオルでした。
先日の訪問の内祝いでした。

私あまり泣き言言わないそうです。

少し前に、私のことを話している際に、私は弱音を吐くところを見たことがない
という趣旨のことを言われました。
無意識ですが、そうかもしれないなと思いました。
弱音とか泣き言とか言っても仕方ないですよね。
それから、私は他人に弱っているところを見せるのが嫌なのです。

とにかくひたすら耐えます。
こらえます。
いつからでしょうね。
昔からそうだったわけではない気がします。

思い返すともう中学生の前から、そうなっていたかもしれません。
中学校の時に
入りたい部活がありましたが、小学校から続けているということで
バスケット部に入りました。
小学校にいるときから、もうやめたいと思っていました。
理由は、裸眼だとボールが見えにくいから。
矯正すればいいのでしょうが、その時はコンタクトレンズなんて知りませんでしたし、
メガネをするのも嫌でした。
メガネはしている自分の姿を見られるのが嫌でした。
分厚いレンズが嫌でした。
そのため見えないのに裸眼でプレーしていました。
光景がすべてぼんやり見えていました。
ボールも見えにくい。
人が見えにくい。
見えにくいから視野が狭くなる。
ボールばかり見て視野が狭い、とそのころよく言われていました。
見えないんです。

小学6年の間、中学に行ったらやめたいと思っていました。
だから、最後の大会は頑張りました。
勝ちたいと思っていた相手に勝てて、うれしくてそこでもう終わりのはずでした。

中学の部活選びの際に、私は陸上部に入ろうと思っていました。
走るだけでいいから。
見えなくても、球技より困らないから。
でも、部活の入部届のハンコをもらうため母親にそう伝えると、
父親に聞けと言われました。
この時点で絶望的な気持ちでした。
私の父は高校のころ、バスケット部だから、私にはやらせたいと思っているのが
私にはわかっていました。
結局、口を出され、うんざりして私が譲歩し、バスケ部に入り苦痛の毎日でした。
この時からもう父親に言えなかったのです。
いっても、言えば聞いてもらえるという感覚がありませんでした。
いっても無駄だと、認識できていました。
あきらめていました。

バスケ部に入ってからも、プレーについていろいろと父親に言われました。
「気持ちがない」と。
そう、私はずっとそんな気持ちなかったのです。
もう小学校でやめたかったのですから。
でも私の父親はそういうのが全く分からなかったようです。
私が言えなかったからなのか、興味がなかったからわからなかったのか
それはわかりません。
入った時から、引退する日を待っていました。
基礎体力作りのために、ただただ走っているときもありその時はよかったのですが、それ以外はたいてい苦痛。
今思うとなんでこんなに我慢していたのだろうと思います。
ただただ苦痛でした。

アルバイトをしていたほうがよっぽどよかった。
バイトなら給料をもらえますから。
私の部活はお金のもらえない労働でした。

そのころから父親には何も言えませんでした。
なんででしょうね。
怖かったんだと思います。
でもそれだけでもないような・・・。
なぜ弱音を言わないのか、についてはあきらめていることに慣れすぎていたのかもしれません。
書いていて嫌になりました。

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