就職活動をやめたわけ 

皆様お疲れ様です。

試験が迫っています。合格ラインを越えられず、絶望しているイメージが浮かびます。やばい。

図書館の帰りにユニクロで服なんて買ってる場合じゃないのに。

唐揚げなんてあげてる場合じゃないのに。きつね色に揚げました。

ブログなんて書いている場合じゃないのに。

私が10年以上前に就職活動をやめた理由

唐突ですが、思い出したので書き留めておきます。

よく思い出すのですが、一度まとめます。

大学3年の冬の終わりごろから動き始めたと思います。

そのころは大学にも飽きて、早く就職して働きたいと思っていました。

働くことの意味もわかっていませんでした。

大学の周りに歩調を合わせて、説明会や履歴書を用意していました。

何になりたいとかはありませんでした。

とにかくなにもわかりませんでした。

実際に面接にも行くようになりました。

進んだりすることもありました。

私が覚えている企業は、結構有名な会社だったのですが、地味だったのでうちの大学からはあまり受けに行っていないようでした。

大学の説明会でこの会社に行ったんですよ。5,6人くらいしかいませんでした。

その企業の人事の方と話をし、やる気のない感じだな、だるそうという印象を覚えました。

でも、受けました。

高層のビルの会議室で、一回先輩社員さんと会いました。

普通に話をして帰りました。こんなんでいいんだ。普通に先輩と1対1で仲良く話す感じです。

そののち次の面談の連絡が来ました。

受ける人がいなくて、何だか行けそうだなあ、なんて考えていました。

何も考えていなかったので、この件を話しました。

●●進んでるよ、いい感じだよ。

母親に。

そうしたら、●●はとおいな・・・。と言われました。

企業名に地名が入っている企業でした。

そのとき結構ショックを受けました。

聞きたくなかった。

あまり深い考えて母親は言ったのではないかもしれません。

そののち、ぼくは2回目の面談を何も連絡せずに行きませんでした。

面談をすっ飛ばした後僕の携帯が鳴って、そこからの電話だとはっきりわかりました。

僕は出ませんでした。そのあとは連絡はきませんでした。

面談に行かなかったのは、母親に悪いと思ったからです。

昔からずっとこうなのです。

親の期待に(希望に)答えなければ、と思っていたのでしょうか。

親が「よい」といったことしかできなかったからでしょうか。

よいといわれないことをやるのは親への背信行為だと思っていたのでしょうか。

どれもあっていると思います。

ぼくは自分の意見があるのです。

でも、反対されて、ほとんどやめてしまいました。親に従って生きてきました。

一つの理由として親が怖かったのかもしれません。

それもあると思います。

もう一つの理由は、ぼくを受け入れて

ほしかったからです。

お前が決めたことならそれでいいよ。

と言ってほしかった。

親の言う通りやっていれば、譲歩していれば、次は話を聞いてくれるといった思い込みがありました。

それでもそのごいつも話を聞いてもらえず、瞬間的に激怒してもいつかは、・・・。次こそは・・・・。

と思っていました。

自分がつきたかった仕事

知識を積んで、サポートするみたいな仕事です。具体的には、士業のイメージがありました。

大学の時、予備校に行きたい旨を伝えました。

学校行きたい。

と伝えました。

答えは、

行かなくていいんじゃないの。

学校の勉強しろ。

でした。

正直いろいろいわれるかなと思っていました。

その答えを聞いて、また切れてしまいました。

行きたいという希望に対しての返答としておかしくありませんか。

理由を聞いたり、具体的任何をしたいのか、費用はどれくらいかかるのか、などそういう話になると思っていました。

答えに対する質問が

行ったほうがいいかな?

なら、返答とつながると思います。

その答えはおかしいだろ、と思って切れました。

理由はどうせ費用のことだと思っていましたから、授業料免除の話を電話して、書類を出してほしいとお願いしましたが、上と同じように

やらなくていいんじゃない

と言われました。

それで何も言えなくなりました。

もちろん費用のこともあるのですが、答えがおかしいと今も思っています。

授業料免除については、収入がどうこうといった書類を何種類も出さなくてはいけないので、面倒だったのでしょう。

高校時代と浪人時代 費用のことで鬼のように私を責めたのにね。

少しでも負担が減れば、私の気持ちが楽になると思っていましたが・・・・

あわよくば、予備校行きたかった。

要は私に興味がないんですよ。

私が何をやりたいとか、何をしているのが好きかとか関心ないんですよ。

私は言われたことさえやっていればいいんですよ。

それがよくわかりました。

 親の希望

私はよく知っていました。

それは出身県庁の公務員です。

そして、家に住んでほしい。

せめて地元に住んでほしい。

それで老後は安心だという話です。

私は、拒否しました。

拒否し続けました。

理由は、地元に居場所がなくなっていたからです。

どこにいたらいいのかわかりませんでした。

クラスtと部活の友人しかいませんでしたが、

学校以外で仲のいい友達はほとんどいませんでした。

部活は嫌いでした。

私は目が見えないのです。

ただ耐えました。

最後の大会が早く終わってくれるのを祈っていました。早く負けてほしかった。

同じ部活のみんなには興味がありません。

高校にもなじめなかった。

家の影響かもしれません。こうこういってから陸でおぼれ始めました。

祖父が絡んでくるようになり、父親も相変わらず絡んできて、金のことで私を責めました。

 最低でも●●大学にいってもらわないと。元取らなきゃ!

親戚の前で言われました。酔っ払いながら楽しそうに言っていましたよ。

私は、ブチっときていました。そんな言い方されるの?

県内でもトップの高校です。

頑張って高校に合格出来たらみんな喜んでくれると思っていました。

英雄扱いだと思っていました。

でも実際は犯罪者扱いでした。

でも自分が行きたいといったのだから、我慢しました。

資格を取ろうと思った理由

もう一つ。

誰にも言っていませんが、

資格があれば、住む場所を自分で選ぶことができると思ったからです。

私は長男です。

上の親の気持ちは知っていました。

私が近くにいれば、県庁ではなくても

希望に添えると思っていました。

これは親には伝えていません。

先にブチ切れてしまったものですから。

今も言っていません。

いまさら言ってもどうしようもないことですからね。

 今現在考えていること

さて、後ろむきですみません。

私が言いたいのは、親がひどい、私は被害者だ、何とかしろと言いたいのではありません。

そういう気持ちは残念ながらありますが、

そんなことを考えても仕方がない。

未来はよくならない。

ならよくなるようにしよう。

私の体と心をずたずたにしてきましたが、

親はただの田舎者なのです。

ただ毎日の労働が大変で収入が多くなくて、私を思って公務員をすすめてくれたのです。

それぐらいはわかります。

子供のころはうちの父親は、優秀な人間だと本気で思っていました。

今は、全く思いません。

人間の価値とかそういう話ではなく博学であるとか教養があるとかそういう意味です。

ただのその辺のおっさんです。

親の一番大きなミスは、私の中学の部活に口出ししたことです。

それで私は地元に居場所を失いました。

人間だれでも間違えるから、仕方ない。

そう。今できることをしよう。

そうすれば未来が変わるかも。

絶対よくならないかもしれませんが、毎日少しずつ自分をかえていきたいと思っています。

できないことはできない。なら、できることをやろう。

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