私の最近の読書法

皆様お疲れ様です。本日でGW終わりですね。GW中は電車に乗っていても、歩いていても人が少なくて歩きやすいです。今日で終わりですね。どこも混むでしょう。経験したくないですね。

昨日アマゾンで本を買いました。まだ序文と最後しか読んでいませんが、失敗の気がしないこともない。本の最後にまとめがあるわけでなく、章ごとに話の内容が完全に分離されているようです。

 私の本の読み方について

最近ほんの読み方が変わりました。いつからかは記憶にないのですが、変わりました。なぜ変わったのだろうと考えると、その理由は時間がないからだと思われます。

時間がないと、せっかちになります。大体本のタイトルを見たり、概略を読んで購入しているのですが、なぜこの文章にして本を書いたのがが気になります。

伝えたいことがある本とあまり伝えたいことがわからない本・知っている内容についての本にわかれますね。

私の本の読み方ですが、

結局何が言いたいんだ、というのが気になって大体1章とか、2章あたりで本の最後を読んでしまいます。そのあと、最後の前の章、その前の省とさかのぼっていきます。

私は、この読み方が速く内容を理解するのに役立つと思っています。理由は、このさかのぼる過程で、どういう論理・流れで結論に至ったのか考えて読むからです。ゴールはすでにわかっているので、どこからどのようにゴールへ入れようとするのかじっと見ています。

頭から順々に読む読み方

筆者の想定している読者はおそらく一人ではないです。なぜなら、いろんな人に読んでもらいたい(できれば買ってもらいたい)とおもって書いているからです。当然読者は同じ人はいません。一方、書き方としては読者一般に向けて書かれてあります。わたしに必要性が低い文章がほかの人には有益であることもあると思います。でも私にとっては重要性が低い。

前から順々に読んでいくというのは講演会やセミナーのように身動きできずに話をきく状況に似ています。そっくりです。講演会とかセミナーって終着点がわからないですね。だと、後援会が始まって30分を過ぎると疲れてきておわりまであと何分だとか余計なことを考えてしまいます。動けないのがつらいのです。話なんてさっとおわしてもらって、直接話したほうがよく頭にはいります。時間的にも、講演会とかの性質上も無理なのはわかってますけどね。

つまり完全に筆者の都合に合わせて終わりまで付き合う必要があるわけですね。私もう無理です。

最近一度会った人とまた会った感覚がする。

結論から読むことで上のような感覚になります。初めと終わりを読んだ段階が初対面で、さかのぼる過程が先日はどうもみたいな感覚になります。

知らん人と長い時間いると疲れるでしょ。一回目は挨拶くらいでいいんですよ。そのあと何回か会うと仲良くなって行ったりします。

このほうが、何度も触れるので頭に残る気がします。

それに、後ろから読んで全く論理がつながらないのなら、筆者の人格か何かしらおかしいでしょ。同じ人のはずですよね。後ろから読んでもおかしいはずがないです。

人と話するときは壊れたテープレコーダーのように「初めに」から離さないでしょ。本だからこういう作りなんですよ。話をしていると思えばどこからでもいいんですよ。

大事なものの順位付け

自分にとって大事なものを考えると、方向性定まってきますよね。

例えば、時間がなくて時間を重視する人なら必然的にモノが減ると思います。モノが少なければ、あれがない・これがないと騒ぐ必要もないし、掃除もしやすい。掃除がしやすいなら、掃除をして気分よくいられる。モノを増やす意味ってないですね。

時間がないなら、必要なところを先にみると、理解が早いです。順に読むのは、目的地まで間違いなく連れて行ってもらえるので不安がないのですが、密林をさまよっている気がします。途中何のために密林を歩いているのかわからなくなります。

この読書法(っていうほどのものかな?)に至るのも必然だったかも。私は結構気に入っております。

PCをしまって・・・

部屋が広くなりました。ところで昨日のよるキンドル端末が見当たらず探していました。話おかしいじゃない。どういうこと?

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