「勝ち組、負け組」という言葉

皆様お疲れ様です。


YouTubeである人が話しているとき聞こえた言葉「勝ち組」「負け組」について思ったことを書きます。

私は昔からこの言葉が好きではありませんでした。負けることは嫌いでしたので、勝ち負けには執着する性分であったはずなのにです。


なぜ?といわれると、正直わかりませんでした。なんだか自分が入ることに同意していない集団に無理やり所属させられるのが嫌だったのでしょうか。そして私は負けるほうには入るはずがないと思っていました。(というか考えたことすらない。)これは体を壊す前の話です。

具体的には、私の知人が「あのタレントは、変なやつだけど勝ち組だよなあ」とか言ったときに「勝ち組」って何ですか?何に勝ったのだろうと思ってしまいました。

負け組と戦ったのですか?そんなことをして何が楽しいんだろう。私は戦う必要がない、なんだかうまく説明できませんが、私はそういうことを求めているんじゃないということを感じていたのかもしれません。

自分は勝ち組だ。負け組はみじめだ。自分は勝ち組でよかった。後は他人だから知らない。関係ない。

こんな考えの人ばかりではないのでしょうが、そういう風に私には聞こえる言葉でした。こんな考えの人には私はなりたくなかったし、なりたくない。

勝ち組なんて言葉は使わない。使うのやめましょう。

一般的に幸福という「信仰」にすがることでした自分を信じれない人たちの言葉です。立派な家があり、家族をもち、子に恵まれ、仕事がうまくいき、他人に慕われ、お金をたくさん持っている。・・・こんなことがなくても豊かに生きられると思います。

私は持ってないものたくさんありますが、上の指標は発想・信仰が貧困すぎますよ!!


人生欠けているくらいでちょうどいい。なにかしら今の自分にも残っているでしょう。

いつも通りまとまりませんが、そんなことを考えました。

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