昔と今の日々の意識の違いについて

皆様お疲れ様です。
週末、電車の広告で「もしも一年後、この世にいないとしたら。」という本を知りました。
著者は、国立がんセンター中央病院清水研先生です。

興味深い題名だったので、kindleで読みました。サンプルだけですが、感じるところがありました。本を買っていないので、そのことを書くのが恐縮ですが、すこしだけ書きます。


平均寿命は長くなりました。むかしは、人生50年と言われていました。現在は、平均寿命が70、80歳くらいです。この変化は医療の進歩の影響が大きいと思います。

寿命が延びることはいいことだと思います。医療の目的の一つである、病気を治す言葉より可能になっているから、病死が減り、変更な人が増え、平均寿命がのびているという関係性があるでしょう。

ただし、このことにはいいことばかりではありません。私も明確に意識しているわけではなかったのですが、この本のサンプルを読んで共感を覚えた個所があります。

「人が長生きするようになったこと自体はもちろん喜ばしいことなのですが、~人々が日々を粗末にしてしまうということです。」

もしも一年後、この世にいないとしたら。清水研先生

人生50年と考えれば、私の場合、あと15年くらいしかありません。人生70年と考えれば、あと35年くらいあります。


15年と35年あるというと自分の意識が大分変ります。あと15年であれば、干支が一回り。あと一周したら、この世界には私はもういないのです。


そう思えば、普段の生活が大分変ってくると思います。こんなことをいつかやってみたい、と考えていることは各人少なからず、お持ちだと思います。それができる時間が過去の寿命感覚と、現在の定命の感覚では違いが少なくないですね。
限りがあるとやはり、この中でやりくりをしていこうと考えますね。

現在の人は60過ぎて、定年をむかえてから老後を楽しもう、というような話を聞きます。でも、そこまで生きることは保証されていませんね。そこに気づかず、今の体のまま病気もなく、退職してすごせることに疑問をもっていません。

むかしの人が、特に幕末の志士が、20代、30代に活躍して消えていきました。私もそのくらいの年ですが、比べるのも恥ずかしい気がします。大変なことをやり遂げていないのではなく、まいにちがこのままあたりまえのように続いていくこと信じ切って生きていることが何も考えていない人のようで恥ずかしいです。あと干支一回りで人生終わるんだという気持ちで生きていければ、日々の意識が変わりますね。いつかやろうは、いましかないね。もうそんなに時間残っていないですね。

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