皆様お疲れ様です。
ふと私と同郷で仲の良い、または、信頼できる人がいたかどうかという疑問をいだきました。
私の近所に住んでいた友人、または、弟くらいかな。
大人は全員信用できなかった。親も学校の先生も私を都合よく利用することにしか関心がないようでした。中学の先生はまだよかった。ネガティブな感情はありません。興味がないのかもしれませんが。
高校の先生はそろいもそろってつまらない人たちでした。私は、高校は進学校に進んだのですが、中学校よりも優秀な立派は先生とあえると入学前は思っていました。
理由は、中学の先生よりも優秀な大学に進み、教養が深く、見識もたかく立派な人もおおいと思ったからです。学んだ量の大きさで、人間としての魅力も比例して増大すると考えていました。
実際はそんなことは全くありませんでした。私の独断ですが、つまらない人が多かった。というかつまらない先生としか会えなかった。彼らは、所定の大学へ受からせることしか興味がなかった。彼らは私には興味がない。ただ、テストの数字のみが関心の対象にみえていました。
私の嫌いな、学年主任の先生が「これからは個性の時代だ、自分の個性を大事に」みたいな話をしていました。そのくせ、個性などには、きょうみがない風に見えました。今考えるに、彼は、自分ではなく他人の言葉を話していたのです。流行りの耳障りのいい言葉を並べていたにすぎません。
上の友人とも何年もあっていません。
自分の中の地元というのは、やはりそれだけのものなのかもしれません。
昔から、現在に至るまで、ずっと私には、地元で居場所がなかったと思い続けました。
母親は、「居場所はある」と言い続けました。私が、「どこに?」と尋ねると何も答えてくれないか、実家と答えるのでした。何もわからない人でした。
居場所とは何でしょうかね。私はずっと、地元にいると苦しいから、居場所がないのだと思っていました。場所も人も、私のことを受け入れてもらえませんでした。安心できる場所が居場所ではないでしょうかね。安心できる場所はありませんでした。