皆様お疲れ様です。
本日「僕が僕であるためのパラダイムシフト」を読みました。
とてもよかった。涙が溢れました。
私は買って読んでよかったと思いました。
何が良かったか、はうまく説明できません。ただ、ひとつきが付いたことがあります。
無意識に漏れる言葉
私は普段から、独り言を言うことがあります。駅の中を歩きながらぶつぶつ言うことがあります。気持ち悪いですね。
こういう時は結構頭の中がいっぱいになっています。ほぼ無意識です。
口に出る言葉は大体決まっています。「だれも僕の話を聞いてくれなかった」「一体だれが僕の話をきいてくれるの?」「本当は陸上部に入りたかった」
の三本です。
気が付いたのは、この言葉はだれがだれにむけていっているかといいうことです。
ずっと親に対しての言葉だとおもっていました。実は違うかもしれません。
今回上の本を読んで、「僕」が僕に言っている言葉なのではないかと思い至りました。「僕」は本当の自分の気持ちです。「僕」は感情的・動物的な存在です。子供の時から存在していた自分です。僕は、もっと理性的、社会的な存在です。おとなになるにつれてできてきた自分です。
私の親は面倒なことは僕のせいにしました。僕が帳尻合わせをしていました。
そして、僕は「僕」に対して親と同じようなことをさせていたようです。面倒なことを押し付けて、負担をかけていたのだと思うに至りました。ずっと我慢させていました。
僕が「僕」を痛めつけていたのだと思うと涙が出てきました。
最近の私が言われたこと
新しい会社に入って、まだ半年もたっていません。それでも仕事ができないことをものすごく後ろめたく思っています。やんなきゃやんなきゃと思います。休日はそれをやらなきゃと義務感を感じています。みんなに迷惑をかけるのが心苦しいのです。
友人へ今の会社について話した時に、なんでそんなに強迫的なのか、ストイックなのか、と言われました。自分の中では無意識です。やらなきゃやらなきゃと焦り、空回りし、さらに焦ります。
でも、いつも空回りしています。全然わからない。頭に入っていかない。やる気も出てこない。
ずっとできないのは能力的な衰えだと思っていました。昔はできたのに覚えられたのに、と考えていました。
実はそうではないかもしれません。
「僕」が疲れ切っているのかもしれません。僕は悪いことをしたなあと思って申し訳なく思いました。鬱の正体は「僕」だったかもしれません。そう思うと涙がでてきます。
僕が加害者だったのかもしれません。事実に驚愕していますが、( ;∀;)が止まりません。これが真相なのかもしれません。犯人が見つかって一件落着でしょうか。
ただ、
この( ;∀;)は「僕」のものか僕のものかそれは今はわかりません。